所説はあるにせよ、人間の脳はその三十パーセント程度しか使っていないのだそうで、とどのつまりは、残りの七十パーセント近くはリミッターをかけて制御しているのだそう。
こんなことを知ってしまうと、ゾクゾクしませんでしょうか?
だって今のこの世界に生きながらにして、ブチ当たってしまっている天井やら、乗り越えられない困難やら、どうしようもないと諦めてしまっている難題やら、その全ては所詮、リミッターにより制御された能力しか発揮できていない自分による仕業なわけだ。
それらのことは本来の意味に置き換えていうと、乗り越えられないと思い込んでいる困難であり、どうしようもないと思い込んでいる難題なわけだ。俗にいうリミッターをカットした自分が、それを壁と感じるかどうかさえも、本当は、分からないのである。
人は自分の可能性を自分の中で狭めて行くことで、結果的に自分を追い詰めたり、追い込んだりしてしまう生き物だと思う。
イジメを苦にしてその命を自らで絶ってしまう悲しい出来事が絶えないが、あの若者たちに、「学校にいることが全てじゃない。学校以外でも生きていくことなんて、いくらでもできるし、やり方はこうだ!」って、具体的に逃げ道(苦難からの逃げ道で、人として逃げているわけじゃない)を与えてあげることができて、そこにその若者たちが、生きていける可能性を感じてくれたなら、命を絶つという選択肢を排除してくれたかも知れない。
大人になっても同じこと。自分にはこの道しかない、この会社しかない、この仕事しかないと決めつけてしまうことで、我慢しなくてもいい厄介ごとやら、受け入れなくてもいい理不尽なことをその背中に背負い込み、苦しんでしまっている人も多いんじゃないかと思う。
会社に行きたくなくて、無断欠勤の言い訳として、二十代の女性が緊縛強盗を自作自演したというニュースがあったが、なぜにそこまで精神的に不自由になってしまうのだろう、この社会は…と悲しくなってしまう。
だからもう、リミッターカットするしかない。
僕は脳科学者ではないので、科学的根拠のあることはひとつとして言えないが、自分の中での感覚として、自分の知らない自分に出会うことができれば、いともたやすく、リミッターなんてブッ飛ばせてしまうんじゃないかと考えている。
可能性というのは、自分の今いる延長上にいる限り、一般的にはどんどんと低くなっていくもんだと思うから。
歳だってとるし、体力だって衰えて行くし、容姿だって醜くなるし、加齢臭だって出てくるし。
だから、自分の延長上ではないところへ、自分が飛び込んでしまえば、その世界では自分は未知の存在になれるわけだから、未知の存在にそもそも可能性がどの程度かなんて、オッズも倍率も何もない。つまりは、新馬戦を走る競走馬になれるわけだ。ヒヒーン。
とは言ってみても、昨今、新しい自分を探すといった主旨で、転職を勧めたり、資格を取ることを煽ったりする傾向があるが、ああいうことに流されちゃいけない。
適職?自分に適しているかどうかを考えてる時点で、早くも可能性を狭めていく可能性が十分にある。それでは二の舞になる。
人気の資格?世の中の人気やら、職に就きやすいという理由など、やたらめったら現実的な理由で、新しい世界に飛び込むもんじゃない。そんなところには既に手垢にまみれた現実がふんだんに用意されていることだろう。
なので、リミッターカットを望む諸君。とどのつまりは、君に選択肢はないということ。脳の僅か程度しか使えていない今の君には、新たな道を選択する資格さえないということ。
だからまずは、世の中に存在する既知、未知、無知な物事、やってみたいことやただ単に知っているだけのこと、趣味でもいいし職業でもいい。それらを無作為に且つ無造作にピックアップしてみよう。無作為、無造作というところがポイントだ。君の狭められた視野の中から飛び出した選択肢を用意するために。あとはそれらの物事を日本列島の図柄の上にでも並べ、ダーツでも投げて、刺さったことを試してみればいい。
思いもよらない結果が出たとしても、怯んじゃいけない。そこにリミッターは不要。
未経験のこと、苦手なこと、嫌いなこと、不安なこと、不満なこと、子どものやること、異性がやること、そんなことはどうだっていい。
これまでに積み上げてきた人生の中で、君自身が向いていると考え、好み、慣れ、得意になって、自分の聖域だと考えている場所で、君はがんじがらめになっているんだから。
そうやって自ら固めてしまった道をいったん外れて、自分の可能性を飛び出してみることが大切だから。
本来の自分には何が向いているのかなんて、生きている間は分かりっこない。だから僕は、履歴書や面接などで、自分の長所や短所を言わせる制度が、クソほど嫌いだ。
自分の長所や短所を自分で理解している人間なんて、不自然過ぎて気色悪い。容姿は鏡で確認できても、自分の人となりを映す鏡なんて、ないのに。
だから、どんどん知らない世界へ飛び出して行けばいいと思う。なになに?「そんなことしたくても、金がねえ!」「そんな時間あるかい!」って?今の現実が辛くて逃れたいんなら、知らない世界へとテイクオフするために、ちょっとくらい頑張って、お金を作ってみようよ。浪漫飛行へのチケット代は、そんなに高くないはず。
普通に生きていて、たくさんの選択肢を持って、のびのびと、精神的に追い詰められることを知らずに生きている人も、社会にはたくさんいる。それは事実だ。
才能のある人や、恵まれた環境に生まれ育った人、運のいい人など、いくらでもいる。
そういう人は、やっぱり選択肢が多いんだ。まるでターザンのように、次の場所へ行こうとする時、次のツタをしっかりと握り、ちぎれないことを確かめてから、安全に次の場所へと移って行くんだ。
もちろん人間だから、そういった人たちにも、不安や心配はたくさんあるだろう。でも、安全のレベルが違うのと、保険がたくさんついているんだな、そういう人たちには。
片や、そうじゃない、ごくごく一般的な人には、そんな安全なツタもなければ、人生に対する保険など用意されていない。だから、初めに持ったツタだけを頼りに、そのツタの可動範囲から見える景色だけを可能性と信じ、巻き起こる全ての苦難や難題やトラブルを、そのツタを離さず対応するしかできない。そうした果てに、息苦しくなってしまうんだ。
火事場の馬鹿力という言葉があるけれど、つまりは自身のその力に出会うために、我が色に染まった道から跳躍してみよう。
薄明りに照らされた出口のない迷路を彷徨うから人は絶望してしまう。未知な世界に飛び込んでお先真っ暗になってしまえば、後は自由に手探りするだけ。
そうやって辿り着いた先が、安住できる一軒の立ち飲み屋だということもあり得る。だから僕はもうしばらくこの店にいて、安酒を煽ることにする。幸いなことに、人生の道のりを歩むことに、飲酒運転はないようだし。
こんなことを知ってしまうと、ゾクゾクしませんでしょうか?
だって今のこの世界に生きながらにして、ブチ当たってしまっている天井やら、乗り越えられない困難やら、どうしようもないと諦めてしまっている難題やら、その全ては所詮、リミッターにより制御された能力しか発揮できていない自分による仕業なわけだ。
それらのことは本来の意味に置き換えていうと、乗り越えられないと思い込んでいる困難であり、どうしようもないと思い込んでいる難題なわけだ。俗にいうリミッターをカットした自分が、それを壁と感じるかどうかさえも、本当は、分からないのである。
人は自分の可能性を自分の中で狭めて行くことで、結果的に自分を追い詰めたり、追い込んだりしてしまう生き物だと思う。
イジメを苦にしてその命を自らで絶ってしまう悲しい出来事が絶えないが、あの若者たちに、「学校にいることが全てじゃない。学校以外でも生きていくことなんて、いくらでもできるし、やり方はこうだ!」って、具体的に逃げ道(苦難からの逃げ道で、人として逃げているわけじゃない)を与えてあげることができて、そこにその若者たちが、生きていける可能性を感じてくれたなら、命を絶つという選択肢を排除してくれたかも知れない。
大人になっても同じこと。自分にはこの道しかない、この会社しかない、この仕事しかないと決めつけてしまうことで、我慢しなくてもいい厄介ごとやら、受け入れなくてもいい理不尽なことをその背中に背負い込み、苦しんでしまっている人も多いんじゃないかと思う。
会社に行きたくなくて、無断欠勤の言い訳として、二十代の女性が緊縛強盗を自作自演したというニュースがあったが、なぜにそこまで精神的に不自由になってしまうのだろう、この社会は…と悲しくなってしまう。
だからもう、リミッターカットするしかない。
僕は脳科学者ではないので、科学的根拠のあることはひとつとして言えないが、自分の中での感覚として、自分の知らない自分に出会うことができれば、いともたやすく、リミッターなんてブッ飛ばせてしまうんじゃないかと考えている。
可能性というのは、自分の今いる延長上にいる限り、一般的にはどんどんと低くなっていくもんだと思うから。
歳だってとるし、体力だって衰えて行くし、容姿だって醜くなるし、加齢臭だって出てくるし。
だから、自分の延長上ではないところへ、自分が飛び込んでしまえば、その世界では自分は未知の存在になれるわけだから、未知の存在にそもそも可能性がどの程度かなんて、オッズも倍率も何もない。つまりは、新馬戦を走る競走馬になれるわけだ。ヒヒーン。
とは言ってみても、昨今、新しい自分を探すといった主旨で、転職を勧めたり、資格を取ることを煽ったりする傾向があるが、ああいうことに流されちゃいけない。
適職?自分に適しているかどうかを考えてる時点で、早くも可能性を狭めていく可能性が十分にある。それでは二の舞になる。
人気の資格?世の中の人気やら、職に就きやすいという理由など、やたらめったら現実的な理由で、新しい世界に飛び込むもんじゃない。そんなところには既に手垢にまみれた現実がふんだんに用意されていることだろう。
なので、リミッターカットを望む諸君。とどのつまりは、君に選択肢はないということ。脳の僅か程度しか使えていない今の君には、新たな道を選択する資格さえないということ。
だからまずは、世の中に存在する既知、未知、無知な物事、やってみたいことやただ単に知っているだけのこと、趣味でもいいし職業でもいい。それらを無作為に且つ無造作にピックアップしてみよう。無作為、無造作というところがポイントだ。君の狭められた視野の中から飛び出した選択肢を用意するために。あとはそれらの物事を日本列島の図柄の上にでも並べ、ダーツでも投げて、刺さったことを試してみればいい。
思いもよらない結果が出たとしても、怯んじゃいけない。そこにリミッターは不要。
未経験のこと、苦手なこと、嫌いなこと、不安なこと、不満なこと、子どものやること、異性がやること、そんなことはどうだっていい。
これまでに積み上げてきた人生の中で、君自身が向いていると考え、好み、慣れ、得意になって、自分の聖域だと考えている場所で、君はがんじがらめになっているんだから。
そうやって自ら固めてしまった道をいったん外れて、自分の可能性を飛び出してみることが大切だから。
本来の自分には何が向いているのかなんて、生きている間は分かりっこない。だから僕は、履歴書や面接などで、自分の長所や短所を言わせる制度が、クソほど嫌いだ。
自分の長所や短所を自分で理解している人間なんて、不自然過ぎて気色悪い。容姿は鏡で確認できても、自分の人となりを映す鏡なんて、ないのに。
だから、どんどん知らない世界へ飛び出して行けばいいと思う。なになに?「そんなことしたくても、金がねえ!」「そんな時間あるかい!」って?今の現実が辛くて逃れたいんなら、知らない世界へとテイクオフするために、ちょっとくらい頑張って、お金を作ってみようよ。浪漫飛行へのチケット代は、そんなに高くないはず。
普通に生きていて、たくさんの選択肢を持って、のびのびと、精神的に追い詰められることを知らずに生きている人も、社会にはたくさんいる。それは事実だ。
才能のある人や、恵まれた環境に生まれ育った人、運のいい人など、いくらでもいる。
そういう人は、やっぱり選択肢が多いんだ。まるでターザンのように、次の場所へ行こうとする時、次のツタをしっかりと握り、ちぎれないことを確かめてから、安全に次の場所へと移って行くんだ。
もちろん人間だから、そういった人たちにも、不安や心配はたくさんあるだろう。でも、安全のレベルが違うのと、保険がたくさんついているんだな、そういう人たちには。
片や、そうじゃない、ごくごく一般的な人には、そんな安全なツタもなければ、人生に対する保険など用意されていない。だから、初めに持ったツタだけを頼りに、そのツタの可動範囲から見える景色だけを可能性と信じ、巻き起こる全ての苦難や難題やトラブルを、そのツタを離さず対応するしかできない。そうした果てに、息苦しくなってしまうんだ。
火事場の馬鹿力という言葉があるけれど、つまりは自身のその力に出会うために、我が色に染まった道から跳躍してみよう。
薄明りに照らされた出口のない迷路を彷徨うから人は絶望してしまう。未知な世界に飛び込んでお先真っ暗になってしまえば、後は自由に手探りするだけ。
そうやって辿り着いた先が、安住できる一軒の立ち飲み屋だということもあり得る。だから僕はもうしばらくこの店にいて、安酒を煽ることにする。幸いなことに、人生の道のりを歩むことに、飲酒運転はないようだし。